コロナ・ウイルス禍の中で 澤田豊成神父
この原稿を記している今、2021年7月初め、さまざまな場所で話題になる一番のことと言えば、ワクチン接種についてです。すでに二回目を摂取した人、一回目を摂取した人、予約ができた人、接種券をもってはいても予約時期を待っている人、接種券すら届いていない人…。
当然のことながら、それぞれの状況によって関心のある点は異なります。すでに摂取した人の話は、接種のスムーズさや副反応がどうだったかに集中します。話している人に悪意はありません。しかし、そこにはまだ予約さえできない人もいるのです。かく言うわたしも、この時点では予約受付対象外の年齢です。その中で、ワクチンを接種した人の話や副反応の話を聞かされる人の思いはどのようなものでしょうか。ワクチン接種を望む多くの人が一刻も早く安全に接種を受けることを願わずにはいられませんし、さまざまな事情からワクチン接種の優先順位が定められることはやむを得ないことです。しかし、そのために差別感が生じてしまい、そこから感情的行き違いが生じてしまうことも事実なのです。人は、頭で分かってはいても、特にコロナ・ウィルス感染予防という難しい状況が継続するこの状況では、互いの気持ちをおもんばかることができにくくなるようです。
今、わたしたちの召命活動、宜教活動、そして生活そのものは、コロナ・ウィルス禍にあって、さまざまな点で制限されています。人と人との接触をできるだけ避けるように、会うときもマスク、アルコール消毒、換気などの予防策に気を遣い、できるだけ距離を取り、大声を避け、時間も短くするように勧められています。そこに、ワクチンの接種が広がり始めました。わたしたちは、ワクチンの接種が新たな差別や不一致、無理解を生み出すのを避け、むしろそれぞれの状況の中で自分に何ができるのかを考え、実践したいと思います。例えば、すでにワクチンを接種した兄弟会員たちは、より安心して他の人と出会うことができるでしょう。まだワクチンを接種することができていない会員は、後方から彼らの活動を支援することができるでしょう。こういう状況だからこそ、「シノドス的あり方」が問われているのだと思います。
幸い、コロナ・ウィルス禍にありながら、去年の12月に二人の志願者(日本人とベトナム人一人ずつ)が入会しました。この神の恵みに感謝しつつ、わたしたちは「シノドス的あり方」で、この状況の中にあっても可能な召命活動に取り組んでいきたいと思います。
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