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互いを見つめながら、ともに前に進んでいくために

 予定外の出来事が突然目の前に現れ、喜びをもたらしてくれるという素朴さは、素直に感謝の気持ちを持って受け取れば、たいていの場合は人生を彩る経験となります。言い換えれば、その出来事によって自分自身が変化するという事です。このような小さな出来事の価値は、まとめて振り返ってみると、たいてい真の光明の道標となります。それはまるで、神が自分の夢を共有するために私たちを見つめ、私たちをご自分の一部にして、私たちがご自身に属していることを思い出させてくれるようです。

 ローマの冬の寒い朝、プリモ・マエストロ、福者アルベリオーネの作品を見直していたとき、私にもこのようなことが起こりました。私は経年によって黄味がかった数ページの小冊子を手に取りました。それは簡単な文章のように見え、その小ささのために重要ではないように見えました。しかし宝玉であることがわかりました。そのタイトルは「私の小さな教区司祭たちへ 」(Edition: Seventh. Publisher: Scuola Tipografica Piccolo Operaio, Alba 1921)というものでした。 文字通り、私の心は喜びに躍りました。それは、第一世代のパウロ家族が生み出した、まさに規矩(きく)と呼べるものでした。 そう、おそらくその瞬間の重要性を十分に理解することなく、そしてパウロ家族という豊かな木が芽生えるための種を蒔いていることに気づくことなく、後に自分たちが歴史を作っていった、プリモ・マエストロの理想を共有した少年や若者たちです。

 手にしたこの珠玉のページを注意深くめくると、私の想像力と感情がぶつかり合いました。学び、試練、話し合い、助言、祈り、ロザリオ、意向、どれだけの日々をプリモ・マエストロと共有したことでしょうか。「良い出版のために働きたい」という唯一の願いを込めて。ある者は学び、ある者は教えました。しかし、全員が自分に託された仕事を果たすことに集中し、それが時を経て、パウロ家族の最初のメンバーの証言を通して、私たちの声によって再現される豊かな遺産となったのです。

 80年以上経った今でも私たちを驚かせる逸話を織り交ぜながら、愛するパウロ家族たちの経験は、アルベリオーネ師が理解したのと同じ活力、犠牲、献身によって私たちを豊かにしてくれます。それは、師であるキリストに倣い、使徒の女王に見守られながら、私たちの全存在を父に委ねることです。


忘れないこと


 今では、この課題はほぼ解決されたと言えるでしょう。現在も私たちの中にいる兄弟たちや、世界中の書店や図書館、資料館で見かける彼らの作品の多くの証言は、道であり、真理であり、生命である方を告知するために人生を費やすことが、命を生み出すことを示す素晴らしい証しです。このことは、信徒としての立場から、生地の中のパン種になろうとする私たちにも当てはまります。私たちの小教区であるこの世界にあって、私たちはその世界に、パウロという貴重な色を与え、私たちの人生を織りなす生命を毎日違ったものにするのです。

この状況は本質的にあまり変わっておらず、私たちはこのコロナ・パンデミックの時代にそのことを実感しています。このパンデミックは、人間としての私たちの数々の欠点を明らかにし、そのたびに私たちは神からますます遠ざかっています。力への渇望、存在することよりも所有することへの渇望、自分自身を子供として、実際にはとても愛を受けている子供として認識していないこと。このような神からの遠ざかりは、社会が加速的に発展するにつれ、特にテクノロジーの急速な発展に伴って、個人的な関係がこれまで以上に電子的なスクリーンを介して行われるコミュニケーションの分野において、ますます顕著になっています。


困難への挑戦


 私たちのルーツは、マリアの手に抱かれながら神を愛することを学ぶという家庭での体験を生きたアルベリオーネ師にあります。第一世代のパウロ会士たちは自らを「家」と呼び、今日では修道会のメンバーも同じように「家」と言及します。私たちは、聖パウロ修道会に導かれ、他のすべてのパウロ家族の修道会や在俗会との親密な関係の中で、「家」を実感しています。この「家」において新鮮な空気を取り込む事に勝るものはありません。

 私たちの挑戦は、まさに家族であることです。私たちは、大いなる人類という家族の中で一つの家族を形成し、まさにこの社会の原初細胞に福音の真理と光をもたらすように召されました。最初の出版物は、子供、女性、家族を対象としたものでしたが、こうして私たちはコミュニケーションの預言職を果たしました。最初の出版物は、子供、女性、家族を対象としたものでした。このような戸別訪問の仕事を、私たちはどれほど正しく理解しているでしょうか。あなたを待っているのではなく、あなたを探しに行き、あなたに耳を傾けるのです。なんと美しいことでしょう。

 もちろん、これこそが私たちの時代における偉大で、また魅力的な責任であり、喫緊の課題であると言っても、それは偶然ではありません。つまり、人類家族にとって、そして私たち自身の修道者の家族にとって、福音(良い知らせ)なのです。

 福音であるためには、世界の喜びや悲しみと日々絡み合っている私たちの個人的な話が、アルベリオーネ師の場合のように、使徒の女王であり、すべての使徒職の母の心を通らなければなりません。彼の人生は、マリア的な神の愛に彩られていました。彼は母からすべてを期待し、失望することはありませんでした。私たちはどうでしょうか?

 それは、愛と言葉と、そして聖体であられる神に完全に身を委ねたアルベリオーネ師に視線を向けながら、私たちも生きるように求められている尊い愛の物語です。私たちは、ロザリオを持って、マリアの手にしがみつき、贈り物として与えられた被造物を深く思い巡らせながら、新しい契約、すなわち成功の秘訣をもって、毎日大胆に神に提案するように求められています。

 私たちは大きな夢を見るように求められていますが、特にこのコロナ・パンデミックの時代にはとりわけそうです。これは、あの神学の先生が行っていたことです。すなわち、常に上を見つめ、目標に向かって視線を定め、自分自身が変容するのを許し続けることです。彼がレンガとロザリオで大聖堂を建てたことは少なからずの事を私たちに語りかけてくれます。

 家族として、聖パウロ修道会として、そして在俗会として、共にゴールに到達し、喜びと感謝を分かち合う旅に出るために、すべては準備されています。さあ、前に進みましょう。


  • マリア・アントニエッタ・クァドロス・B(聖マリア・アンヌンチアータ会員)による第11回修道会総会に向けての思い。

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