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「通過点」 小川孝志修道士

 一九九五年、銀祝を終えて二十五年が過ぎました。新型コロナウィルスの感染拡大で日本中、いや世界中が大変なことになり、良い年とは思えません。身近では夫津木昇神父さんの急死、プラザー牧山康二さんの急死など、悲しいことがありました。新型コロナウィルス感染拡大で、東京オリンピックや大きなスポーツ大会など、あらゆる計画が中止になり、延期となりました。

 ところで二十五年前の一九九五年も、阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件などがあり、良い年ではありませんでした。二十五年の節目は、嫌なコトがあるのはなぜだろうか? 良い事や悪い事はいつも記憶に残るものです。

 「金祝」という言業の由来を調べたら、「聖年」の意味であるようです。「ヨベルとはヘプライ語で角から作られたラッパを意味し、安息日の年の七周年(七x七年)が満了した翌年の五十年目を、解放、恩赦の年としてラッパの吹

 奏で告知したことに由来する」という、大変喜ぱしいコトが分かりました。私の過去の罪や失敗も許してくれると大変うれしいのですが(笑)。日本人は失敗を許さないところがあります。だから仕事上の冒険ができない。何か「しでかしたら」罪人のように袋叩きにされて買任を取らされる。イヤなことは避けたいので「言われる通り従い」、上司の指示を待つことが身についてしまう。

 二十五年前の銀祝のあいさつで覚えているのは「通過点」です。金祝を迎えたこの年も「通過点」と言いたいのです。通過点でも着地点でもありません。与えられた使命を忠実に行い、歩いていきたいものです。さて、その使命とは何か?

 二〇一八年にH神父様の遺品を片付け、二〇二〇年にF神父様の遺品片付けをして考えさせられました。修道院の二部屋〜三部屋が埋まるほどのいっぱいの荷物を整理しましたが、残るものは記録と記憶だけでした。今の時代は物があふれて、それに振り回されている状態です。その「物」に魅力があるのでしょう。テレピショッピングでは、新商品のPRが二十四時間行われています。

 さて月並みですが、五十年の歩みができたのは、聖パウロ会会貝のみなさんをはじめ、パウロ家族の方々や身内の親族のおかげだと思っています。今後ともより良いご指導とお祈りをよろしくお顧いいたします。


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