「より良いパウロ会士になるために」 大西德明神学生
パウロ会に入会してから十年が経過しました。パウロ会の場合は哲学と神学はもちろん、海外での語学研修、使徒職のための養成と実務経験、小教区司牧実習、イタリアでの研修とそのための語学の習得と、九年の有期誓願期をフルにかけないと養成が完了しませんので、今も有期誓願者として東京のカトリック神学院にて勉強を続けています。
昨年度は、使徒職の研修を行いました。私が派遣されたのは、宜教推進部、一般の企業で言うところの営業部兼発送部門と言ったところでしょうか。そこで、イラストレーター等のDTPソフトを使ってカタログやチラシを作ったり、発送業務を手伝ったり、日曜日等は関東各地の小教区にて教会販売の使徒職をさせていただきました。修練期には編集部に在籍しておりましたが、そこで作った本がどのような流通ルートにのつて、どのように売れて行き、そしてどのような反響を得るのかが分かる、いわば人間の体で言うところの心臓・循環器のような部署でしたので、サンパウロの使徒職のより全体を眺めることができたと思います。また、より良いパウロ会士になるべく、夜はエディタースクールやイタリア語学校で勉学にも励みました。使徒職をもっと幅広く、そして深く見ることができるように会計の通信講座も申し込んだりしました。
ひょっとしたら、「司祭になるために神学の勉強もせずに、悠長なものだ」と呆れられるかもしれませんし、僕自身も時々焦ったりすることもあります。同じ頃入会した他の会や教区の神学生たちは、もう既に司祭になっていますから。ですが、これがパウロ的な養成なのだと思います。毎日の聖体訪問でいつも問いかけるようにしています。何のためにここにいるのか。司祭になる以前に、良いパウロ会士になるためではないか、と。現在、新型コロナウイルスの影響で世界は混乱の中にいますが、今やリスクは地球規模のものとなっており、ここにリスクをめぐる地球規模のコミュニケーションも存在することになりますが、その只中に派遣されるとなると、やはりそれなりの準備が必要なのだと思います。
新型コロナウイルスと言えば、その影響は、神学生にももちろん及びました。神学校自体はオーストラリアで卒業したのですが、オーストラリアの課程は三年で、それではあまりにも短すぎるし、科目数も足りないからということで、聴講生として東京のカトリック神学院に通うことになりました。しかしながら、私のように公共の乗り物を使って通学する場合は、感染の危険が高いため、数ヶ月にわたって授業に参加することができませんでした。ということで、授業の遅れや様々なトラプルの対応で悩む毎日ですが、その一方で光栄なことだと感じます。というのも、時代の出来事に翻弄されることは、他ならぬ時代と共に生きていることに他ならないと思うからです。
長い養成期ですが、おほろげですがそろそろ終わりが見えてきました。もっとワクワクするものかと思いましたが、違うものです。自分に務まるのだろうか、自分にあんな立派な説教ができるのだろうか、パウロ的な司祭としてイニシアティブが発揮できるのだろうか。そんなことを考えますと、怖くなってくるんですね。どうか、より良いパウロ会の司祭となれますように、引き続きお祈り下されば幸いです。
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