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【訃報】アントニオ・ベルナルド・マセッリ神父

 ローマのサンパウロ共同体に所属するわたしたちの兄弟、アントニオ・ベルナルド・マセッリ神父は、2021年4月8日の午前8時30分(現地時間)、コロナウイルス感染のため、ローマ市内の聖エウジェニオ病院で帰天いたしました。享年87歳、パウロ的生活75年、修道誓願69年、司祭としての生活61年でした。

 彼は共同体の必要性と会員の必要に注意深く応え、素朴で、気さくで、尊敬に値し、私たちの使命を愛した人でした。

 彼は1933年6月20日、カステルパガノ(イタリアのベネヴェント州)の謙遜な家庭に生まれました。父ヴィルジニオと母カルメラの子で、三男でした。1945年8月25日にローマ修道院に入会し、5年後、アルバーノ・ラツィアーレで修練に入り、1951年9月8日に初誓願を宣立し、「ベルナルド」の修道名をいただきました。ローマで終生誓願を宣立し(1956年9月8日)、助祭に叙階され(1959年5月3日)、1959年7月5日、ルイジ・トラリア司教の手によって司祭に叙階されました。

 司祭叙階後の最初の使徒職は、ローマでの雑誌購読事務所の所長(1959年~1961年)でした。その後、ミラノ修道院へ異動し、月刊誌の普及に従事しました(1962年~1963年)。さらに召命司牧と養成の使徒職に長年従事しています。すなわち、最初にローマ修道院(1963年~1980年)、ヴィチェンツァ修道院(1980年~1982年)、最後にアルバーノ・ラツィアーレ修道院(1982年~1992年)でした。

 若者との養成に従事してから、アントニオ神父はバリ修道院へ異動し、二期にわたって院長を務めています。1999年、当時の総長であったピエトロ・カンプス神父は、「師イエス修道院(黙想の家)」の院長に彼を任命し、2004年までその職に就きました。その後、カターニア修道院へ異動し、聖パウロ協力者会の霊的指導にあたり、2018年までその任務を続けていましたが、健康を害し、その後、ローマに戻ってティモテオ・ジャッカルド修道院(病人のための共同体)で生活しました。

 数週間前にコロナウイルス感染で陽性反応となり、病院に入院しましたが、この病気を乗り越えることができませんでした。

 アントニオ神父は、霊性の深さと人間性の豊かさで感銘を与え、特に晩年にいたっては、共同体のメンバーから慕われ、身近な人に親切な振る舞いでした。

 彼は執筆活動を愛し、エウジェニオ・フォルナサリ神父と共に「Spendi l’amore cowboy(愛するカーボーイに生涯をささげて)」という本を出しています。これはアメリカ合衆国において36歳の若さで事故で亡くなったサルヴァトーレ・カロッラ神父の生涯を描いたものです。

 キリストの復活の週に亡くなったアントニオ神父の永遠の安息をお祈りください。

 2021年4月8日

総秘書 ステファノ・スティマミリオ神父


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