洗礼のお祝い――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(29)

 教理の勉強が終了すると、いよいよ洗礼に臨む時となる。

 洗礼式の当日、聖堂内は洗礼志願者自身の手によって、美しい花々で飾られる。洗礼盤は極めて簡素なもので、聖堂内陣には、白い布で覆われたテーブルの上に聖水と聖香油が置かれた。成人洗礼は初聖体を伴うため、日曜日のメインのミサの前後に行われた。広間は儀式に必要な空間だけを残して、洗礼志願者の近親者と教会の信徒たちでいっぱいになった。

 洗礼を受ける男性は、一張羅の和服かまたはヨーロッパ風の洋服を着て、右腕に十字架の形をした白い布を着けていた。女性は伝統的な純白のヴェールを手に持っていた。聖なる儀式が終わるころ、司式司祭は彼女の頭に初めてそのヴェールをかぶせるのだ。その純白のヴェールは、受けた洗礼を象徴する「百衣」に代わるものである。参列したみんなが感動していた。喜びの涙を流す人を見たのも一度や二度のことではなかった。

 洗礼式が終わると、開閉扉によって祭壇と広間は仕切られ、新受洗者のための祝賀会が喜びのうちに行われた。新受洗者は近親者や信徒たちから、口々にお祝いの言葉を受ける。お辞儀、拍手、握手、中にはヨーロッパ風の抱擁もあった。それから祝辞と拍手喝采のうちにテーブルが用意され、茶話会が開かれる。お茶、砂糖菓子、ケーキ、和菓子が出され、にぎやかな談笑が始まる。お祝いは「家族的」な喜びのうちに正午過ぎまで続き、恒例の記念撮影は全員が参加して行われた。

 記念写真というと、あるカトリック女性の不屈の忍耐と真の勇気を思い出す。その二十歳の若い女性求道者はカトリック教理を勉強する間、根っからの仏教徒である父親から猛烈な反対を受けていた。父親は教理の勉強に娘を通わせないように、彼女を家から閉め出してしまうほどであった。そのために彼女は幾晩かを、近くの公園のベンチで過ごさなければならなかった。しかし彼女は辛抱強く頑張って、ついに目的を達することができた。洗礼の当日、彼女は自分の受洗に至る歩みを家族に納得させたいと考えた。洗礼式の後の祝賀会の最中に、彼女は周囲に気づかれないようそっと教会を抜け出て、有名な写真館を訪れてこう言った。

 「私はカトリック信者になりました。今日、洗礼を受けました」。

 写真屋さんは言った。

 「分かりました。晴れ着で花かんざしを付けたきれいなお写真をお望みですね」。

 「いえ、いえ、あなたはカトリックではないので私が何を望んでいるか思いつかないでしょうけれど、私はどうすればいいか分かっています。あなたはただ、私のすることに反対しないで写真を撮るとだけ約束してください」。

 「いいですよ! お望みどおりにしましょう」。

 彼女は白いヴェールをていねいに頭にかぶり、レンズの前に行ってひざまずき、両手を合わせてこう言った。

 「さあ、私の写真を撮ってください!」。

 写真屋さんは、彼女を見て当惑した。そして頭を振りながら、眼鏡の奥の目を大きく見開きながら、ぶつぶつ独り言をつぶやいた。

 「この人はまともじゃない……。少なくとも私にとっては……」。

 しかし写真の出来栄えは実にすばらしく、カトリック新聞社から「求道者にとって有益だから」と、適切な解説付きで大きく新聞に掲載された。意志の強固なこの娘は、自分の写真が載っているカトリック新聞を携えて教会に来た。みんなはたいそう喜び、この新しく信徒になった仲間の勇気をたたえた。彼女はこう言って話を終えた。

 「私はこのカトリック新聞のコピーを父に送りました。その裏に何と書いたか、みなさん分かりますか?」。

 「何か感動的な言葉ですか?」。

 「私はこう書きました。『お父さん、見てください。私はカトリック教会で、このように祈ることを学びました』と」。


  • ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』(2020年)より