求道者――日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち(28)

 二人の最初の聖パウロ修道会会員は、東京の王子区で司牧活動を開始した。教会は近くの駅の名称から、人々に「下十条教会」と呼ばれていた。彼らはカトリック信徒の子どもたちに教理を教えることから始めて、地域の子どもたちのための幼稚園経営という付属事業に献身した。しかし二人は、直接には成人の求道者を集めようとしなかった。

 それに関わったのは、司祭に代わって教会のために働いていた地元の信徒たちであった。私たち司祭が成人のための宣教活動に献身しようとすると、ある深刻な問題に直面しなければならなかったのだ。それは「人手不足」という問題であった。この新しい仕事のために、主任司祭と助任司祭の二人の力だけでは確かに不足であった。そこでパウロ神父は創立者(アルベリオーネ神父)に、可能なら、応援のためにさらに会員を派遣してくれるよう手紙を書くことにした。支援を待ちながら私たちは、近い将来、さまざまな年齢層を対象にした新しいタイプの宣教に向かうことのできる恵みを信じて、この使徒職の準備に献身し始めた。

 カトリック教理の授業は、五、六人から成る二つのグループで始まった。生徒たちは全員、成人であった。彼らの教育の程度を考慮してグループ分けをした。教育水準の高い人たちは、主任司祭のパウロ神父が担当した。彼は日本語の語彙を数多く知っているので、助任司祭より容易にその務めが果たせるからである。

 授業のテキストは日本語で書かれていて、二人の司祭にとっては厳しい試練となった。授業は求道者が毎日休まずに参加できるよう、学校や仕事が終わった午後の遅い時間から行われた。一カ月もすると、他の大人たちもカトリック教理の勉強をさせてほしいと言ってきた。こうしてさらに二つのグループができ、新しい求道者たちを満足させるために教理の授業は、一日置きに行われることになった。

 ほぼ一年を通して行われていたカトリック教理の授業は、どのようにして進められていたのだろう? 私たちの授業はまず「使徒信経(信仰宣言)」の解説から始まり、次に「天主の十戒」に進み、そして「秘跡の部」へと入っていった。ここに来て求道者たちは最大の「壁」にぶつかった。教理の勉強が進み、内容を理解するにつれて、幾つかの概念や信徒としての日常生活や行いについて、彼らの中に疑問や困難が生じてきたのだ。そのため、人によっては勉強の危機に陥り、「少し静かに考えたいから、しばらくの間(教理を)休ませてください」と言ってくることがよくあった。時には勉強を中断した人のほとんどが戻ってこないこともあったが、大半の人は忍耐強く熱心に勉強に励み、立派な成果を上げて私たちに喜びと満足を与えてくれた。時々、熱心な求道者がロザリオや祈祷書を使った勉強を申し出ることもあった。そして約一年の勉強が終了すると、晴れて洗礼式が行われた。

 日曜日のミサごとに感動的な成人の洗礼式が行われ、信仰に結ばれた「大家族」に加えられた新しい受洗者たちによって、カトリック共同体はさらに元気づけられていった。

 五年間という小教区での生活と司牧活動において、神は数百人もの求道者に洗礼を授けるという喜びを私たちに与えてくださった。そして「後続部隊」、すなわち後から来たパガニーニ神父、ボアノ神父、キエザ神父たちも多くの成人求道者たちにカトリック教理を教え、彼らに洗礼を授けるという大いなる喜びを味わっていた。


  • ロレンツォ・バッティスタ・ベルテロ著『日本と韓国の聖パウロ修道会最初の宣教師たち』(2020年)より

聖パウロ修道会サンパウロ

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